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2011年03月29日(火) 
書名:彦九郎 山河
著者:吉村 昭
発行所:文藝春秋社
発行年月日:1995/9/30
ページ:333頁
定価:1600円+ 税

寛政の三奇人、林子平、蒲生君平、高山彦九郎と呼ばれている。奇人とは類い希なするれた人という敬称です。高山彦九郎は松平定信、上杉鷹山などの活躍する江戸後期の人。細井平洲を師として、勤王の志を持ち、幕府は朝廷から政権を預かっているに過ぎないという思想を前野良沢・大槻玄沢・林子平・藤田幽谷・上杉鷹山・広瀬淡窓・蒲池崑山など多くの全国各藩の人々と交友しながら、広めていく。

当初、蝦夷地へ渡ろうとするが果たせず、天明の飢饉に陥った東北地方を遊歴して、南部藩、秋田藩、陸奥藩などは何万人もの餓死者が出た、鷹山の米沢藩は餓死者が一人も出ていない。これらを政治によって対応出来ることを行わなかった南部、秋田、陸奥は人災と言いきる。その後京都に上り岩倉具選宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことにより光格天皇にも拝謁した。ますます尊皇の志を持つ。そして天皇を支援してくれる藩として薩摩藩に狙いを定め、単独で薩摩に潜入する。薩摩藩内でも同じ志を持つ同士も多く出来たが、最終的には幕府には逆らえないということで、この企ては失敗する。その後、兇状持ち(幕府から狙われる)となって九州を転々とするが、久留米で自刃する。

明治維新の勤王の志士達の原形を作った高山彦九郎。彼の思想、狙いが薩摩、長州、土、肥によって大政奉還、明治維新がなった。この彦九郎は学者ではあるが、実践の人、また交友関係も多い。全国至る所に彼を快く迎えてくれる人々がいた。机上の学問とは違った人。戦前の皇国史観であまりにも持ち上げすぎた感があって実体を伝えられていない。この吉村昭は冷静に真実を追っている姿が感じられる。

閲覧数2,401 カテゴリ本に出会う コメント0 投稿日時2011/03/29 21:00
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