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2017年08月09日(水) 
書名:婉という女・正妻
著者:大原 富枝
発行所:講談社
発行年月日:2005/4/10
ページ:383頁
定価:1,600 円+税

野中兼山(良継)1615~1663年土佐藩で父は山内一豊の家老だったが、良継が生まれたときには浪人になっていた。そして、1615年兼山が4歳の時、父と死別。その後母と二人で放浪の旅、そして土佐に帰国。父の従兄弟である野中直継の養子となり、直継の娘を妻(従兄弟)としました。

1631年(寛永8年)、18歳の時養父と同じ奉行職となります。当時の藩主は二代藩主山内忠義で、兼山は忠義に藩政改革を命じられます。その業績はめざましく、新田開発、港湾設備等の土木工事、四ヶ村を灌漑、産業の振興、専売制による財政強化など、土佐24万石、実質30万石といわれるほど業績をあげましたが、当時徳川幕府は外様大名の揚げ足を取ってお取りつぶしを狙っており、藩内にも野中兼山の反対勢力も台頭してきていました。二代藩主忠義が隠居がきっかけとなって、その後藩主となった三代藩主忠豊に弾劾を受け失脚、宿毛に幽閉。 その3ヶ月後、兼山は亡くなりました。49歳でした。また一族も幽閉されました。

その後、兼山没後ながらも一族の幽閉は続き、男系が絶えるまで幽閉は続いたのです。 幽閉が解かれるまで兼山の死後40年という年月がかかりました。

野中兼山の妻、妾、息子、娘、母、義母が幽閉された暮らしを淡々と婉という娘が語っているという体裁の物語です。そして男兄弟が全て絶えるまで延々と幽閉が続きます。この物語の始まりは弟が亡くなることで赦免されるところから始まります。婉は4歳の時に幽閉されます。したがって父の行いも罪も何も知らないそんな幼い子をも幽閉するという罪とは。現在では考えられないし、また江戸時代でも非常にまれだったのではないでしょうか?
赦免された時44歳、その後の人生を生きた婉も描いている。一身二生の女の生涯を描いた作品です。


「正妻」は野中直継の娘を中心に、「日陰の姉妹」は婉の異母姉妹のことが書かれています。「婉という女」の3部作です。野中兼山はともすると山内家に反抗しようする長曽我部の家臣達を郷士として百姓として生きていける道を作った人でもある。幕末の志士につながる縁があったのかも。

閲覧数915 カテゴリ本に出会う 投稿日時2017/08/09 22:41
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