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2010年01月21日(木) 
 昨年11月、地元町内会長などの案内で、本牧満坂、本牧緑ヶ丘、本牧町を歩いてきた。
 これまで一人で何度となく見てきた光景が、地元の方々のお話を聞きながら改めて眺めてみると、ものすごく新鮮なイメージで目に飛び込んでくる。

 その一例がこの石垣。

 

 本牧緑ヶ丘の住宅地を造成したときに造られた石垣だとばかり思っていたら、そうではなかった。

 
 宅地造成は昭和40年代。
 しかし、この石垣はそれ以前からあったという。

 町内会長の話では、これは接収地時代に米軍が使っていた6万ボルトの送電線用鉄塔跡地。鉄塔の周囲を支えていた石垣なのである。

 ということで、昭和30年代の地図を調べてみた。

 

 たしかに送電線が描かれている。
 現在石垣がある場所には鉄塔らしき記号もある。

 この地図は横浜市のホームページで閲覧できるので、興味のある方はご覧になっていただければと思う。

■三千分一地形図「84-8根岸(昭39)」
http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/citypla…84-8s.html


posted by よんなん  

閲覧数4,720 カテゴリ本牧・本郷町の歴史 コメント2 投稿日時2010/01/21 11:33
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