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2012年07月17日(火) 

青木 昭和23年、上台市場で母と姉で「あをき菓子店」を始めました。その後、呉服屋に勤めていた父も一緒にやるようになりました。当時は商品があれば売れた時代です。

まだまだ品不足で、質より量が必要な時でした。しばらくするとヤマザキパンなどが出てきて、それらを売り始めました。時代が進むにつれ、単品大量販売が多品種少量販売、量より質の時代に入りました。

昭和35年にポンパドールさんなどが出てきて、ファッショナブルなフランスパンを売り始めました。それも焼きたてのパンです。

だんだん商売が難しくなってきて、菓子屋という商売では先が見えてしまいました。

学校を卒業したときに商社マンになりたくて、内定をいただき就職をしようと決めましたが、当時店主だった父より跡継ぎになってほしいとの要望があり、やむを得ず継ぐことに決めました。

 

ヤマザキパンとの取引の中で、当日焼き立てパンの一日3回の配達や、新製品の毎月何品かの発売要望を、先方と何度も交渉を重ねましたが、すべて断られました。

それで一念発起して、自分でパンづくりをするしかないと思いました。簡単にできるのは冷凍生地のパイ生地などの商品で、10アイテムほどしかなく、これではすぐ行き詰ると思い、自分で粉から作る方法を学ばなければと、ある会社に相談をしました。

そして脱サラした人たちを対象に、焼きたてパンのノウハウを売る会社に巡りあいました。

 

しかし職人の経験がないため、大変な苦労をしました。ついに1年で病気になり、半年ほど入院しました。

もう職人として働けないので、社長業をするしかないと決めました。

退院してから支店を何店か出したり、回転寿司屋を始めたり、その他にも色々な商売をやりました。走ってから考える性質なので、しょっちゅう苦労していました。

昭和59年40歳になる時に、自社ビルで新しいブランド「本牧館」という屋号のパン屋を間門の地に立ち上げました。マイカルに出店もしました。

その後小さな店と寿司屋、その他の業態の店は全部辞めました。

今は100種類ほどのパンを作っています。

美味しいパンを作るには、長時間発酵が大切です。発酵時間が短いと美味しくありません。

フランスパンは、小麦粉、水、塩、イーストだけで作りますが、それに発酵時間が大きく関わります。

美味しいパンを作るため、長時間発酵させて作るわけですので、おのずと長時間労働になります。そして朝仕込んだものを、その日のうちに作って売り切らなければいけません。

厄介な商売を選んだなあと思いますが、一方で、きちっとやればそれなりの効果が得られる。ただし、人の2倍くらい働かなければいけません。

瑞穂の国というくらい、日本は米文化の国。そんな中で、先人達が努力をしてこれだけのパン文化を切り開いてきました。世界広しといえども、こんなに各種のパンを作っている国はないでしょう。四角いアメリカのパン、山型のイギリスパン、フランスパン、アラビアのパン…わが国は世界中のパンを作っています。

最近は、パンの売上が米を抜いたという話も聞きます。

 

「ポンパドール」さんがフランスパンを出したわけですけど、当時はフランスパンの食べ方を知りませんでした。「ポンパドール」さんは、その食べ方も広めていったわけです。

チーズバタールという、中にチーズの入ったものがあります。それを作った時、フランスの職人さんが「こんなのはフランスパンじゃない」と言ったそうですが、これが「ポンパドール」さんのヒット商品になったのです。

それから銀座木村屋さんが開発したあんぱん、これが日本にパン文化を根付かした最大の功労者だろうと思います。クリームパンも同じですね。

嶋田 クリームパンが出てきたところで、羽鳥さんがいらしたので、ちょっとお話を伺いましょう。

羽鳥 お茶は身近にありすぎて、簡単に扱われているのではないでしょうか。熱いお湯を入れると甘味が消されて、苦味・渋みが出てきます。逆に低い温度のお湯を入れると甘味が出てくる。お湯の温度にも気を使っていただきたいものです。

先ほど青木さんから「パン屋の仕事は作ったものをその日のうちに売り切る」というお話がありましたが、世界の中では日本のお茶も大変なのです。

紅茶も中国茶も発酵茶なので、摘んですぐ製造するわけではありませんが、日本茶は生なのでパンと同様に大変なのです。

朝摘んで、その日のうちに工場に入れて製造し、問屋に入ってくるのが夜中の2時頃です。お天気が続くと寝る間もないというほどです。

嶋田 昔、紅茶を売っていたことがあるというお話を聞きましたが。ティーバックですか。

羽鳥 いえ、量り売りです。リプトンの紅茶でした。1箱20キロという単位で仕入れて売っていたのです。でも、ティーバックが出現してきて止めました。

日本に入ってくる外国のお茶はたいしたことありません。缶入りドリンクに使っているウーロン茶などは、香港の積み出し価格で1㌔5ドル程度でしょう。しかし中国に行けば1万、2万する中国茶があるのです。

紅茶だってヨーロッパに行けば3000円、4000円というのがゴロゴロあります。

世界で一番安いお茶を飲んでいるのは日本人だといってもいいかも。

時代の流れで仕方ないのかもしれませんが、ひとつお願いがあります。

手抜きをせず、ちゃんと道具を使ってほしいということです。番茶は土瓶を、煎茶は急須を、それぞれ使い分けてほしい。

嶋田 お茶は飲めば飲むほど身体にいいというようなことを、NHKでやっていた。

 

羽鳥 深蒸し茶のことでしょ。お茶碗のそこに残った葉っぱ、あれも飲み干してほしいです。消化器系のガンの予防にいい。

朝飲んだお茶を1杯残しておいて、外に出て帰ってきたときにそれでうがいをすれば、へたなうがい薬よりもずっといい。

飲み終えたあとのお茶の葉っぱで佃煮を作るとか、ふりかけにしようとか、よくテレビで言っているけど、もしおやりになるのだったら、高いお茶の葉を使うべき。そうじゃないと葉がモソモソで食べられない。

先ほど番茶という話をしました。一番いいお茶、高いお茶というのは、一番柔らかい部分を手で摘んでいるのです。

冬の寒い中、栄養価を溜め込んでいるから美味しい。美味しいけれど、熱湯を入れては駄目。葉が柔らかいから茹で過ぎの菜っ葉みたいになっちゃう。

逆に番茶は熱湯を入れてやらないと味が出ない。

近頃は、子どもにこういうことをやらせないから、お茶を入れられない若い人たちが多くなっているのではないですか。

嶋田 先ほど皆さんにアンケートを書いていただきましたが、ここで、それについてさらにお尋ねします。

給食を食べたことがないという方、何人かいらっしゃいますね。食べたことないという方?

参加者 数人挙手

嶋田 脱脂粉乳の世代は、どのくらいいますか? 半々ですね。

アンケートによると、脱脂粉乳世代の方はコッペパンを、牛乳世代の方は揚げパンと書いておられます。まずはコッペパンの思い出を語っていただきましょう。

女性 学校の帰り道にコッペパンを食べながら帰ってきた。美味しかった思い出があります。

男性 コッペパンは硬かった。それを脱脂粉乳に浸して食べていました。脱脂粉乳も温かいうちは美味しいのですが、冷えてくるとまずかった。残ったコッペパンをランドセルに隠して家に帰ったものです。

女性 私は横浜出身ではないのですが、小学校では脱脂粉乳を飲んでいました。最初に脱脂粉乳が来たとき、ララ物資というポスターも書いた覚えがあります。

 

それと一緒に海人草という回虫を出すものを飲まされていました。それを飲まないと昼休み外に出してもらえませんでした。

嶋田 次は牛乳世代。若そうなあなた。

男性 今日、小川牛乳店で飲ませていただいた牛乳、プラスチックのキャップ付き、初めて飲みました。私が飲んでいたのは、昔のリユースの牛乳瓶で紙のキャップが付いていたやつです。

その後三角牛乳になりました。今日はあのようにきれいなビンを見て、変わったなぁと思いました。

揚げパンのイメージはあまりないです。どちらかというと焼きそばパンとか、コッペパンではないのですが、パック入りのジャムをつけて食べるパンが記憶に残っています。

女性 牛乳は縦長のビンで紙の蓋付きでした。パンの基本は食パンだったけど、月に1、2回、揚げパンが出ました。揚げたコッペパンの上に砂糖がまぶしてあり、そんな日はみんな大喜びでした。油で揚げて、それが甘いというのは衝撃的でした。

女性 パンに塗るバターやジャムがないときは砂糖をつけて食べたものです。バターの上に砂糖をかけたやつなんか最高でした。

女性 基本はコッペパンだけでした。でも、たまにこれにバターやジャムが付いてくると、それは大ご馳走でした。

「アンアン」や「ノンノ」などの女性誌が創刊された頃、長いフランスパンを抱えて町を歩きながら食べる、そんな人たちが目に付くようになった。オシャレだったんでしょうね。

男性 戦前のこと。地蔵坂の下半分は両側に商店がたくさん並んでいました。そのなかに「シンニチドウ(?)」というパン屋があって、地下の窯でパンを焼いていて、山手に住む外国人が毎日買いに来ていました。私は子どものころ、そこでパンを1斤買い、中の柔らかい部分をほじくって食べていたものです。

男性 小学校では給食のパンだったけど、中学に行ったら校内でパンを売っていて、それが今までとは違って美味しかった。

青木 日本人が工夫をして作った菓子パンですね。こだわりがある。

今日みなさんの前にあるクリームパンもそうなんですが、上の方とは異なり、横の方が白く焼けているでしょ。これが出ないと駄目なんです。

上火と下火の固定窯で焼いている。

フランスパンのバゲットなどは、最近は近代化されてコンベクションオーブンを使って熱風で焼いています。石釜と違って安く大量に作れるというので、フランスでも流行っている。そのためベーカリーが苦労しているのです。

先ほど、パンの外側を食べるか、中を食べるかというお話がありました。「ポンパドール」さんは、フランスパンを売るにあたって、まず、その食べ方から教え始めました。

本来、フランスパンというのは皮の美味しいところを食べるのです。

それからパンを食べるときは、必ず焼き直してからいただいてください。

フランスパンのように中に何も入っていないパンは、油やなにやらが入っているパンと比べて、老化が早い。噛んで引きちぎるとき、歯が折れるような感じになったりするが、これは焼直せばサクッと食べられます。

 

パン文化の最高峰は、やはりフランスパンだと思います。日本の米と一緒で、フランスパンは小麦粉のほかに水と塩しか入っていない。しかも長く発酵させているから、小麦の味が良く出ています。

フランスに行くと朝早く売りに来ていた。それを買って食べていたのを思い出します。

日本での小麦粉生産は5%程度。ただほとんど力の弱い中力粉なので、食パンなどのボリュームあるパンを作りにくい。だから値段の問題もありますが、95%が輸入小麦です。

日本にもハルユタカのように、外国のものよりいいと思われる小麦粉があります。風味も豊かなのですが、値段の問題とか扱い方が難しいとか、いろいろあるようです。

まあ、とにかくフランスパンは小麦の旨みがある。朝食だけでなく、味噌汁と一緒でもいいから、夕食にもぜひ食べていただきたい。最近は明太子フランスパンなんていうのもあるし。あれはアンパンに次ぐ和洋折衷のパンではないかと思いますよ。

嶋田 クリームパンについて。

青木 中身はカスタードクリームです。卵の黄身と牛乳だけでカスタードを作っています。そこにバニラを加えて香りを出している。生地には砂糖や油を使っているので、フランスパンとは対極にあるようなパンです。

女性 40年ほど前に本牧へ移ってきました。それでパンを食べるようになり、あちこち食べ比べてきたが、本牧館さんのが一番好き。

ところでパン屋さんとしては何系なのですか。イギリス系とか、フランス系とか。

青木 四角い食パンはプルマンというやつです。四角い容器に入れて蓋をして焼くアメリカ式です。大量生産がきく。

蓋をしないで焼いて上部が山型になっているのがイギリスパンです。

男性 クリームパンとジャムパンの形が違うのはなぜ?

青木 間違えないようにするためじゃないでしょうか。

このジャムパンというのはなかなか売れないのです。ブルーベリージャムを入れてみたり、いろいろなジャムパンを作ってみたが難しい。甘すぎるからなのかなぁ。

嶋田 本牧には本牧館さん以外にもたくさんのパン屋さんがあり、それぞれ独自のパンを焼いているようです。

男性 私は子ども時代、千葉にいたのですが、当時は給食を残すことが許されなかった。でも、パンだけは別でした。そこで食べられなかったおかずをパンの中に突っ込んで家に帰ったということも。

あるとき風邪を引いて学校を休んでいたら、友達が給食のパンを持って家に来てくれたんです。それがたった1回だけ出た揚げパンでした。それを夕方食べようとしたら、揚げパンがベチョベチョになっていた、そんなことを思い出しました。

嶋田 そろそろ、時間になってきました。第4地区南部元気づくり推進協議会の運営委員長である石田さんにまとめをお願いします。

石田 多数の方にご参加いただきありがとうございました。

このうんちくツアーも回数を重ねてきましたが、どのようなものでも極めれば奥が深いと、毎回思っております。

今日は青木さんのお話の中に元町の「ポンパドウル」も出てきましたが、歴史的にいえばポンパドウルという人はルイ15世の愛人でした。あの方がサロンを開いて、その時代の専門家を招いていろいろな話を聞いていたそうです。あまり難しい話だともう来なくていいと言われるので、みんなに分かりやすく話していた。みんなが聞いていて、これは素晴らしいということになって本にまとめたのがフランス最初の百科事典です。

うんちくツアーも、ここだけで終わらせたらもったいない。何かにまとめていきたい、素晴らしい本ができるのではないかと思います。

これを本郷町や本牧の商店街で使っていただければ、幸いです。

嶋田 それでは最後に本郷町商栄の会長からご挨拶を。

 

佐久間 長時間ありがとうございました。今日はパンとお茶をいただきながら、こんな深いお話を聞かせていただき、ほんとうに幸せでした。今日は寝られないかもしれません。これを今後の糧にしたいと思います。

今日はありがとうございました。


閲覧数26,988 カテゴリ本牧・本郷町の「まちネタ」 コメント0 投稿日時2012/07/17 08:42
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